『Assassin's Creed Odyssey』レビュー。快適な「ゲーム」であることを追求した秀作。
ゲームタイトル | Assassin's Creed Odyssey |
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評価 | S(おすすめ) |
プレイ時間 | 80時間 |
プレイ状況 | クリア済み |
ゲーム概要
『Assassin's Creed Odyssey (アサシンクリード オデッセイ)』(以下、『本作』)は、古代ギリシアに生まれた傭兵アレクシオス/カサンドラが、生き別れとなった家族を救うため、コスモスの門徒と呼ばれる闇の勢力と戦う、アクションRPGだ。
本作の舞台は、紀元前430年の古代ギリシア。プレイヤーはアレクシオス(男)かカサンドラ(女)のどちらかを主人公として選び、英雄の壮大な物語が幕を開ける。古代ギリシアの社会では、神々への強い崇拝が行われており、神託官の言葉は絶対であった。ある日、デルフォイの神託官から、主人公の妹/弟を生贄にささげろという託宣が命じられる。主人公の父母は、神託官の教えに従い、幼子を手にかけようとする。しかし、主人公は幼子を守ろうと抵抗し、神託官から崖に突き落とされてしまう。主人公は運よく生還し、ワシ使いの傭兵として生きていく事となる。
傭兵として生活する中で、スパルタの将軍である父と再会する。父は、不可解な託宣を主導した、コスモスの門徒と呼ばれる組織の存在を、主人公に告げる。主人公は、再び家族と共に生活するため、コスモスの門徒と戦うことを心に決め、旅を始める。
本作のゲームシステムは、敵を倒したりクエストを達成することによって、キャラクターのレベルを上げていく、アクションRPGである。キャラクターの移動や戦闘は、滑らかな操作性と自由に移動できるパルクールアクションにより、極めて快適である。プレイヤーが冒険するフィールドは、シリーズ恒例の広大なオープンワールドであり、見どころ満載のロケーションが用意されている。本作は、古代ギリシア世界での冒険を、常に軽快な心持ちでプレイできる、爽快で快適な「ゲーム」だ。
以下ネタバレ等詳細なゲーム内容を含むため注意
良かった点
アクションRPGのアサシンクリードとしての完成形
本作は、前作『アサシンクリード オリジンズ』と同様に、アクションRPGの要素を取り入れている。各地域ごとに推奨レベルが存在し、クエストをクリアしたり敵を倒すことによって、プレイヤーは経験値を獲得することができる。ある一定以上の経験値を貯めることで、レベルが上がりアビリティポイントを獲得することができる。レベルアップや新しいアビリティの取得に加えて、敵がドロップした武器や宝箱から拾った防具などを装備することによって、キャラクターを自分好みに成長させることができる。
アサシンクリードシリーズは、初代『アサシンクリード』から前々作の『アサシンクリード シンジケート』まで、ステルスアクションを主体とした戦闘システムであった。前作の『アサシンクリード オリジンズ』では、強力なレベル制とソウルライクな戦闘要素を取り入れ、アクションRPGへの移行を試みたが、ファンの反応は賛否両論であった。旧来のファンは、高レベルの敵を一撃で暗殺できない点や、史実を舞台にしたアサシンクリードシリーズに怪物や魔術が混在する点などに、反感を持った。その一方で、アクション要素を強めたことにより、暗殺以外にも様々な戦闘方法を模索することができ、従来よりも戦闘の幅が広がった。
本作の戦闘システムは、前作『アサシンクリード オリジンズ』のアクション要素を、より派手で多彩にしたものである。牛頭人身のミノタウロスや蛇頭人身のメドゥーサとの戦いでは、敵の行動パターンを把握し、適切なタイミングで攻撃やガードを行う必要がある。プレイヤーが発動できる各アビリティには、クールタイムが設定されているため、必殺技アビリティや回復アビリティなどは、タイミングを考えて使用する必要がある。また、本作の操作性は極めて快適で、プレイヤーは意のままに古代ギリシアの傭兵を操ることができる。
史実とファンタジーの融合した、特殊な世界観に対する批判は残ってはいるが、本作は間違いなく、アサシンクリードシリーズで最も戦闘が楽しいゲームである。おそらく、全オープンワールドアクションRPGの中でも、トップクラスに戦闘が楽しいゲームであるだろう。
悪かった点
稚拙なストーリー分岐
本作のセールスポイントに、プレイヤーが選んだ選択肢によってストーリが分岐するというシステムがある。プレイヤーがクエストを進める中で、複数の選択肢を持った会話が発生する。この会話文の選択によって、後々のストーリー展開が変化していくのだが、本作のシナリオ分岐システムは、少々稚拙で未熟である。
ストーリー分岐型RPGとして有名な作品の一つに、『ウィッチャー3 ワイルドハント』(以下、『ウィッチャー3』)がある。ウィッチャー3も本作と同様、プレイヤーの選んだ選択肢により、シナリオの行方が変化する。しかし、ウィッチャー3のシナリオ分岐システムは、様々な選択肢が複雑に絡み合い、その世界全体に多大な変化を生み出すものである。
本作のシナリオ分岐システムは、1つのクエストで1度、2-3択の選択肢が表示され、その選んだ選択肢により、クエストの結末が変化するというものだ。ウィッチャー3のように、様々の選択結果が複雑に絡み合うこともなければ、プレイヤーの選択によって世界全体が激変することもない。むしろ、シナリオ分岐システムを取り入れたことにより、各クエストのストーリーが浅薄になってしまい、退屈な脚本になっていると感じる。このような空虚なシナリオ分岐システムを用いるよりも、リニア進行型のクエストシステムに刷新した方が、味わい深いストーリーを生み出せるのではないかと考える。
最も重要なストーリーをDLCで補完した点
本作には2つのDLC(ダウンロードコンテンツ)が存在する。これらのDLCでは、本編中に語られなかった主人公の行く末について、描写している。つまり、これらのDLCを購入しなければ、エンディング後の主人公の人生や、主人公の子供の出生などを知ることができない。
また、アサシンクリードシリーズには、現代編と呼ばれる特徴的なストーリーが存在する。現代編とは、初代『アサシンクリード』から本作まで継続して繋がっているサブストーリーで、現代世界でのアサシン教団とテンプル騎士団の確執を描いている。本作にも現代編は存在するが、本編中では一部の要素しか体験することができず、その続きはDLCに持ち越されている。全アサシンクリードシリーズで継続している現代編を、DLCを購入しなければ満足に知る事ができないというのは、どこか不完全である。
総評:快適な「ゲーム」であることを追求した秀作
本作は、「快適なゲームであること」を最大の目標にして制作されている。ゲームとは、映像作品でも技術を誇示する場でもなく、プレイヤーが操作することにより、視覚的・聴覚的フィードバックが発生するという、インタラクティブなエンタテインメントである。つまり、ゲームがゲームであるためには、快適な操作性というものが必須である。だが、この快適な操作性を実現するためには、様々な細かい調整と設計が必要となるため、多くのゲームではこの厄介な問題を蔑ろにしている。
しかし本作では、プレイヤーは意のままにキャラクターを操ることができる。障害物につっかえてしまったり、プレイヤーが意図しない動作を行ってしまうことはない。また、探索しがいのあるフィールドや、プレイヤーの選択によって変化するストーリーを見て取れば、「映像作品でなくゲームであること」を重視して制作されていることが分かる。徹底してゲームであることを追求した本作は、とにかく遊びやすいユーザーライクな「ゲーム」に仕上がっている。
『Child of Light』レビュー。美しさを結集した流麗な芸術品。
ゲームタイトル | Child of Light |
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評価 | S(おすすめ) |
プレイ時間 | 10時間 |
プレイ状況 | クリア済み |
ゲーム概要
『Child of Light』(以下、『本作』)は、異世界レムリアに迷い込んでしまった少女オーロラが、レムリアの蛍イグニキュラスと共に、元いた世界に帰るための旅をする、2DアドベンチャーRPGだ。
主人公のオーロラは、オーストリア侯爵の娘として、可愛がられて生きていた。ある日、目が覚めると、彼女は異世界レムリアに迷い込んでいた。行く当てもなくさまよい続けるオーロラだったが、彼女の前に燦爛とした蛍のイグニキュラスが現れる。イグニキュラスはオーロラに、「レムリアが闇の女王に支配されている事、太陽と月と星が女王に盗まれてしまっている事」を告げる。オーロラは、闇の女王を倒す事で元いた世界に戻ることができると考え、イグニキュラスと共にレムリアを救う旅に出る。
本作では、フィールド探索にアクションアドベンチャー方式、戦闘にタイムライン型コマンドバトル方式を採用している。奥行きをもつ水彩画のような風景は美しく、淡彩な音楽が旅を引き立てる。奥深い戦略性をもった戦闘は程よい手ごたえで、クラシカルな音楽が戦いを引き立てる。本作は、王道ファンタジーRPGを鮮麗に描いた作品である。
以下ネタバレ等詳細なゲーム内容を含むため注意良かった点
時間の流れとコマンドバトルを両立した戦闘システム
みなさんは、ATBという呼称をご存じだろうか?ATBとは、アクティブタイムバトルの略称で、主にファイナルファンタジーシリーズ(以下、『FF』)で用いられている戦闘システムである。FFでは4~9と13が、このATBシステムを採用している。
ATBシステム最大の特徴は、戦闘中常に時間が流れ続けることである。ドラゴンクエストシリーズやポケットモンスターシリーズでは、プレイヤーがコマンドを選択し、コマンド入力の完了後、敵味方が攻撃を開始する。だが、ATBシステムでは、コマンド選択中にも時間が流れ続ける。そのため、手早くコマンドを入力できれば、すぐに攻撃できるが、コマンド選択にもたついてしまうと、敵に攻撃され続けてしまう。
このように、ATBシステムはコマンド制の「じっくり戦略を練って戦う」という醍醐味を奪っている。この欠点を解消するため、FF10ではCTB(カウントタイムバトル)というシステムが採用された。CTBシステムでは、ATBシステムと同じく時間の流れが存在する。しかし、プレイヤーがコマンドを選択している間は、時間の流れが停止する。これにより、リアルタイム性を持ちつつも、プレイヤーがじっくり戦略を練ることができる戦闘を可能にした。
本作の戦闘システム(以下、『ウェイト・キャストシステム』)はCTBを改善し、戦略性を向上させたものである。このシステムの画期的な点は、時間の流れをウェイトエリアとキャストエリアの二つに分けて表現した点である。
戦闘が始まると、各キャラクターのアイコンが、ウェイトと書かれた左端から、キャストと書かれた右端へと移動する。各キャラクターのアイコンが、ウェイトエリアとキャストエリアの境目に到達すると、そのキャラクターのコマンド選択画面が表示される。コマンド選択中は時間の流れが一時停止するが、入力が完了すると、再び時間は流れだす。
キャストエリア内では、エリアの境界地点で入力したコマンドの内容により、アイコンの移動速度が変化する。大技ならゆっくりと、通常攻撃なら素早くといった具合だ。そして、アイコンがキャストエリア右端に到達した際に、エリアの境界地点で入力したコマンドが実行される。
さらに、ウェイト・キャストシステムは「妨害」という要素を加えることで、時間の流れを巧みにコマンドシステムへ落とし込んでいる。
妨害とは、キャストエリア内にいる敵を攻撃することによって、その敵アイコンの位置を、大きく左へ押し戻すことができるというシステムである。もちろん、自分がキャストエリア内にいる際に、敵から妨害を受けることもある。なるべく自分が妨害されないように、また敵を妨害できるようにと、コマンドを考え、選択する。この妨害システムが、コマンドバトルにおける、時間の駆け引きという面白さを生み出している。ウェイト・キャストシステムは、「時間の流れとコマンドバトルとの両立」という難題への、一つの到達解だろう。絶妙な難易度のアクション要素とパズル要素
本作では、アクション要素とパズル要素の二つを用いて、フィールド探索を行う。主人公のオーロラは、トラップを避けつつフィールドを探索し、レバーや荷車などのギミックを動かすことで、道を切り開いていく。蛍のイグニキュラスは、暗闇を照らしたり、昇降機を動かしたりすることで、オーロラが先へ進むための支援をする。
本作では、アクション要素とパズル要素が絶妙な難易度で構成されているため、プレイヤーはストレスを感じることなくゲームを遊ぶことができる。本ゲームの主題は「少女オーロラの成長冒険譚」であり、アクション要素やパズル要素は、あくまでプレイヤーを飽きさせない為の一要素に過ぎない。これらの要素を難しくしすぎれば、プレイヤーはフラストレーションを感じて、ゲームを止めてしまう可能性がある。そのため本作では、アクション要素やパズル要素は、直感的に楽々とクリアできるようになっている。じっくりと試行錯誤するコマンド戦闘の合間に、ちょっとしたアクション要素を加えることによって、プレイヤーは気分をリフレッシュしてゲームを遊び続けることができる。
おとぎ話のような世界観
本作の最も魅力的な点は、その美しい世界観である。少女オーロラが王女オーロラへと成長していく王道ストーリー、奥深さを持つ水彩画のような淡彩な絵作り、素朴だが情趣極まる音楽、これら全てが唯一無二の世界観を生み出している。本作では、おとぎ話にある絵本の世界に迷い込んだかのような体験を味わうことができる。
悪かった点
手記という収集要素
本作には、「手記」と呼ばれる収集アイテム要素が存在する。この手記には、レムリア大陸の歴史が書かれており、全部で16種類存在する。この手記を全てを集めると、「完ぺきなソネット」という実績を解放することができる。しかし、1周のプレイで全ての手記を集めるということは、幾分難しい。
本作はJRPGに強い影響を受けているためか、ストーリーを1周クリアすることで、ゲーム体験が終わるようになっている。そのため、隠しダンジョンや2周目プレイ時の隠しボスなどは存在しない(強くてニューゲームは存在する)。
しかし、この手記だけは、1周で全て集めることが困難である。エンディングを迎え、感慨に浸った後に、手記の実績だけ埋まっていないと、どうにも心残りが生まれてしまう。より確実に全手記を集められるような工夫があれば、心置きなくゲーム体験を、心に刻めるだろう。
総評:美しさを結集した流麗な芸術品
本作は、「おとぎの国での少女オーロラの成長冒険譚」を語るために、すべての要素が存在している。淡彩な風景と素朴な音楽がおとぎの国を作り出し、じっくりと熟考しがいのあるコマンドバトルは、プレイヤーを幻想的な世界に没入させる。プレイヤーをいらだて、おとぎの夢を覚まさぬよう、アクションパズル要素は直感的で容易なものにしている。すべての要素は、「おとぎの国での少女オーロラの成長冒険譚」という世界観を構築するために、存在しているのだ。美しいコンセプトから、ずれることなく造形された童話世界は、芸術品とも呼べる作品である。
『A Plague Tale: Innocence』レビュー。最高の題材を活かしきれなかった意欲作。
ゲームタイトル | A Plague Tale: Innocence |
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評価 | B(凡作) |
プレイ時間 | 10時間 |
プレイ状況 | クリア済み |
ゲーム概要
『A Plague Tale: Innocence』(以下、『本作』)は、姉のアミシアと弟のユーゴの2人が、疫病に覆われた中世ヨーロッパで、異端審問官やネズミの群れから逃避行を行う、ステルスアドベンチャーゲームだ。
姉のアミシアは15歳ながら、狩猟で鍛え上げたスリングの腕を持つ。彼女はスリングを用い、目の前の敵を倒すだけでなく、遠くの篝火を点火させることもできる。
弟のユーゴは、まだわずか5歳だ。彼は病弱で隔離されていたため、アミシアとはほとんど関わりがなかった。ユーゴは小柄な体格を活かし、アミシアが入れないような、小さい穴や狭い屋根裏などに潜入できる。
他にも錬金術師のルカや、盗賊兄妹のアルチュールとメリー、力自慢のロドリックなど、多彩な少年少女の仲間と出会う。彼らは疫病が蔓延する過酷な世界で、何を感じ、どう生きていくのか。
救いのない社会の中で、懸命に生き抜く少年少女たちの物語は、残酷だが美しい。
以下ネタバレ等詳細なゲーム内容を含むため注意良かった点
陰鬱な世界とぎくしゃくした姉弟愛が魅力的な序盤
異端審問官による焼き討ち、疫病が蔓延した村、死体の積み重なる戦場。本作では、重苦しい中世ヨーロッパの社会を見事に表現している。先に進むほど救いが見えず、彼女らの心は次第に打ちひしがれていく。
希望が見えない常闇の未来に、まだ15歳のアミシアは錯乱していく。彼女は次第に、ユーゴにきつく当たるようになり、姉弟の関係に亀裂が生じていく。
しかし、彼女らは生きるため、歩を進める。アミシアはスリングを使ってユーゴを助け、ユーゴは小柄な体格を活かして道を切り開く。お互いが協力し助け合うことで、姉弟は徐々に愛情を深めていく。
ネズミによるリスクリターンの駆け引き
本作では、疫病(Plague)をビジュアル的に表現するため、ネズミの集団におきかえて描いている。実際に中世ヨーロッパでは、黒死病(ペスト)はネズミを媒介にして大流行したといわれている。
本作でのネズミの習性として、
- 生き物を襲う
- 火や光を恐れる
という特徴がある。アミシアとユーゴは、火の周りにいればネズミに襲われることはないが、火が消えてしまうと途端にネズミに囲まれ、ゲームオーバーになってしまう。
この習性をうまく利用することが、ゲーム攻略の鍵となる。本作にはネズミの他に、異端審問官の兵士たちが行く手を阻む。彼らに近寄られると、幼弱なアミシアらは即座に殺されてしまう。しかし、このネズミの習性を利用することで、兵士たちを効率的に排除できる。
例えば、道端に落ちている石をスリングに装着し、兵士のランタンに向けて投げれば、あっという間に兵士はネズミに覆いつくされる。
また、錬金術師のルカは
- 遠距離から篝火に点火できる「イグニファー」
- 遠距離から火を消すことができる「エクスティングス」
などを開発してくれる。これらを利用することで、多種多様な方法で道を切り開くことが可能になる。アミシアたちにとってネズミは天敵だが、利用価値のある敵なのだ。
悪かった点
駆け足で説明不足なストーリー
本作の序盤は、キャラクターの心情や陰鬱な世界観が濃密に描かれており、まさに『Plague Tale(疫病の物語)』だった。しかし、後半になると話が飛び飛びになり、多くの要素が説明されないままエンディングを迎えてしまった。
筆者が疑問に感じた点を抜粋すると、
- なぜアミシアたちは汚染された街にいながら、疫病に感染しないのか
- なぜアミシアたちが自宅に帰郷した段階で、ネズミが活性化したのか
- なぜアミシアの父や家来の身体は、ネズミに食べられなかったのか
- 過去にも同様の疫病が発生していたらしいが、本作で疫病の連鎖は止まったのか
- なぜユーゴにプリマ・マキュラがあるのに、アミシアや父母にはないのか
- ユーゴを殺すことで、疫病は治まるのではないのか
- なぜユーゴは一時、異端審問官側についたのか
- 異端審問官はどうやってプリマ・マキュラの血が必要だと知ったのか
などなど、語られていない部分が多いと感じる。次回作があるからなのか、それとも単に説明不足だったたけなのかどうかは分からないが、どこか釈然としないシナリオだった。
活かしきれていない時代背景
本作は、1349年のフランス王国が舞台になっている。この時代のフランスと言えば、イギリスとの王位継承権をめぐる英仏百年戦争の真っ最中だ。フランスは劣勢状態にあり、フランス北部で行われたクレシ―の戦いでは大敗北を喫した。しかし、1348年ごろ、黒死病(ペスト)が大流行したため、イギリス軍は撤退を余儀なくされた。ちなみに、この黒死病(ペスト)では、ヨーロッパ全人口の30%~60%が死亡したと言われている。
しかし、本作ではこの凄惨な舞台設定を活かしきれていないと感じる。百年戦争の面影は、死体の積み重なる戦場跡しかなく、直接ストーリーには絡んでこない。当時のフランスでは、ユダヤ教徒が毒を散布したという噂が広まり大虐殺が起きたが、そんな様子も見られなかった。ペストの凄惨さや教皇の設定を活かすのならば、イタリアを舞台にした方が良かったのではないか。
いきなり始まる怪獣大バトル
筆者が最も残念だった点はこれだ。筆者は本作を「か弱い姉弟が残酷な世界で、必死に抗いて生きていく」話だと考えていた。少なくとも序盤は、この展開で話が進んでいた。
しかし、終盤にユーゴが覚醒した後、境遇は一変する。ユーゴはネズミを操り、アミシアは邪魔な敵を容赦なく排除する。か弱い姉弟だった2人は、隠れずとも正面から敵を一掃できるようになってしまっているのだ。
そして、最終決戦はもはや怪獣大バトル。本作を始めた際には、ラスボス戦が「黒のネズミ群vs白のネズミ群」になるとは、思ってもいなかった。「か弱い姉弟が残酷な世界で、必死に抗き生きていく」という魅力的な構想を、最後まで貫いて欲しかった。
総評:最高の題材を活かしきれなかった意欲作
本作の目指した世界観には、唯一無二の美しさがある。逃げ惑う姉と弟が協力し、仲間を増やし、陰鬱な世界で必死に生きていく様子は、はかなく美しい。
しかし、あと一歩のところでこの魅力を、最後まで突き通せなかった。本作は最高の題材ながら、それを活かしきれなかった意欲作である。
『Detroit: Become Human』レビュー。アンドロイドと人の命は等価か否か。
ゲームタイトル | Detroit: Become Human |
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評価 | S(おすすめ) |
プレイ時間 | 15時間 |
プレイ状況 | クリア済み |
ゲーム概要
『Detroit: Become Human』(以下、『デトロイト』)は、自我を持ち始めたアンドロイドが自らの大切なものを守ろうと葛藤するアドベンチャーゲームだ。
舞台は2038年のアメリカ、デトロイトシティ。人間と同じ見た目ながら、同等以上の身体能力や知性を持つアンドロイドは、社会に不可欠な存在になっていた。
そんな中、特定のアンドロイドが意志や感情を持ち始め、彼らは変異体と呼ばれる。プレイヤーは3人の変異体アンドロイド、「カーラ」「コナー」「マーカス」を操作する。QTEや選んだ選択肢によってシナリオが変化し、選択の連鎖によって彼らを取り巻く環境が大きく変化する。
アンドロイドと人の命は等価か否か、幾度となく考えさせられる作品である。
以下ネタバレ等詳細なゲーム内容を含むため注意良かった点
シナリオの連鎖
本作における1番の特徴は、ストーリー分岐条件の多さだろう。プレイヤーはエンディングまでに、500近い(あくまで体感だが)選択を行う。これらの選択肢の中には、シナリオを大きく変化させる分岐点も多数存在する。
特に序盤では「ストラトフォードタワー(マーカス)」、「天敵(コナー)」の2編の選択肢が秀逸である。プレイヤーはマーカスを操作し、ストラトフォードタワーでアンドロイドの仲間の為に動き、アンドロイドの立場になって選択を行う。その次の話では、プレイヤーの操作はコナーに移行する。先ほど自身がマーカスとして行った犯行を、人間を補佐する警察アンドロイドのコナーとして捜査することになる。アンドロイドを守りたいマーカス側の立場と、事件の真相を突き止めたいコナー側の立場。この両者の間でプレイヤーは悩み、考え、選択することになる。
また、この2編での選択肢は、時間的・空間的に大きなストーリーの変化を生み出すことになる。ストラトフォードタワー編では、「マーカスがサイモンを生かすか殺すか」という選択肢が存在する。この選択肢が別行動をしていたコナーにも影響し(空間的)、サイモンは後の「最後の切り札(コナー)」編でも重要な証人になる(時間的)。
デトロイトでは中盤から終盤にかけて、この時間的・空間的に大きな転換を及ぼす選択肢が連鎖する。これらが連鎖することで、プレイヤーは流動的でダイナミックなシナリオ体験を得ることができる。
悪かった点
QTEの成否によるストーリー変更
本作にはいつくかのQTEイベントが存在する。特に「鳥の巣(コナー)」編でのチェイスシーンは映画に匹敵する迫力で、心を惹かれた方も多いのではないだろうか。しかし、デトロイトのQTEには、失敗するとストーリーが進行不能になるものが存在する。この「QTE失敗=バッドエンド」のイベントは、ゲーム内に数十回存在する。
筆者は「サイバーライフタワー(コナー)」編にてQTEを失敗し、警備員にコナーが殺されてしまった。その結果、以降コナーが出てくることはなく、後味の悪い終わり方を迎えてしまった。筆者の失敗はゲーム終盤だったためストーリーへの影響は薄いが、ゲーム最序盤の「夜のあらし(カーラ)」編にもこのようなイベントが存在する。プレイ開始1時間ほどでカーラを死なせてしまったプレイヤーは、『Detroit: Become Human』を満足に体験できないだろう。
QTEというのは、動きの少ないアドベンチャーゲームにおいて、退屈させないための要素である。確かに派手で気持ちの良いQTEには、心躍るものがある。しかしデトロイトは、プレイヤーがアンドロイド達の気持ちになって、考え、選択し、彼らの結末を見届けるゲームだと私は思う。QTEの失敗によって彼らの運命が閉ざされてしまっては、どこかやるせない。
総評:アンドロイドと人の命は等価か否か
デトロイトに登場するアンドロイド達は、みな守るべきものを持っている。カーラは家族を、コナーは平和を、マーカスはアンドロイドの権利を守るため、人間と対立し、時に争う。
マーカスは大切な仲間を守るため、アンドロイド達を率いてデモ行進を行う。そんな中、仲間が人間に撃たれ、倒れていく。
カーラはアリスを守るため、カナダ行きのバス停に到着する。そこでは、2枚のカナダ行きバスチケットの落とし物と、バスチケットを無くして困っている親子に遭遇する。
プレイヤーはアンドロイドの彼らに、自身の心を投影する。自身がマーカスやカーラになった気持ちで悩み、善悪の天秤を揺れ動かす。
そんな、人とアンドロイドのはざまで揺れているキャラクターこそコナーだろう。マーカスとカーラでのシナリオを経て、プレイヤーは徐々にアンドロイドの感情や考えを知っていく。プレイヤーは次第にアンドロイドへ感情移入をするようになり、コナーもハンクとの交流で徐々に感情を学んでいく。そして、シナリオ終盤でコナーに対し、変異体になるかどうかの選択を選ばせる。この時点で、プレイヤーはアンドロイドの気持ちになって考える事ができるようになっている。
人としてもアンドロイドとしても、どちらとしても考えられるようになったプレイヤーは、仲間のアンドロイドが撃たれたら人間に撃ち返すだろうか?人間の親子が困っていたら、自身の危険も顧みずに助けるだろうか?そんな答えのない問いに対して、揺れる感情や悩んだ末に選ぶ選択こそが、デトロイトの最も魅力的な所だ。